ルシファーズウイングで噂の「X16」。
そんなキットは買っても組めないしと敬遠していたのだが、すち子とのセットで出されたので、さんざん悩んだ挙句ポチったわけだが…。
やっぱり、これはありえない。
春先に予約していたプラモたちが、次々と着弾を始めた。
積みのスペースは既に縮小したため、積むキャパシティーは少ない。
着弾と積み崩しの追いかけっこが、しばらく続いていた。
巨大な「M.S.G フレームアームズ・ガール&クリムゾンウイングセット」を予定通り処理できたことで、逃げ切りに目途が立った。
追加装甲やブースター、プロペラントタンク、排気ダクト。
M.S.G.をそろえて武器カタログを作ろうと計画した時にはなかったカテゴリーだった。
フレームアームズガールより、メカとしてのフレームアームズに似合う装備であり、「CAG」の2人に装備させるには無理があった。
省略しようとも思っていたが、一念発起し何とかすることにした。
M.S.G.の積みがなくなり、それ以外の積み崩しも先が見えたところで、武器庫の撮影を再開。
固定撮影ブースのおかげで連日の撮影が可能になった点も大きい。
久しぶりとは思っていたが、まさか、1年10か月ぶりとは…。
外部サーバーに有料レンタルしていたアップロード掲示が使用不能になった。
いつの間にか、更新申請しないままに使用期限が切れたらしい。
優秀な掲示板だったが、レンタル料が非常に高かったため、再更新を断念した。
やはり、同一サーバー内にCGIで掲示板を置くのが一番安定している…。
同時に、なりきりチャットの「キャラ名簿」を廃止し、アップロード掲示板にその機能を負わせることにした。
サイトのスクリプトや画像をいじるのは久しぶりだったが、手順を忘れていることはなかった。
毎日更新していたころを思い出しながら。
新コロを遠因として家電などが配置変更となった結果、デスクの横に使い道の難しい空き空間ができた。
さてに何に使おうかと考えた結果、固定式の撮影ブースにすることとした。
これまで、撮影環境は、その都度に背景や光源を用意していたから、いざ撮るまでが大変だった。
家電の空きダンボールを切り貼りしてブースを作成、比較的短時間に完成した。
撮影対象の大きさは、1/100 ハンマ・ハンマが限界のようだ。
ハンマ・ハンマ、良いよ ハンマ・ハンマ。
引きこもっている時間が伸びているので、積みプラの消化が進んでいる。
本来、喜ばしいことだが…。
万一、自分が新コロにやられた場合、部屋に隔離されることとなる。その場合、積みプラは貴重なヒマつぶしの手段となるだろう。
積みプラが「消化された」ではなく、「枯渇した」というべきなのだろうかと恐怖する。
仕事以外で外出する時間が減ったので、積みプラの消化速度が上がっている気がする。
緊急事態宣言…?
他人事と思っていたら、ウチの近所からもトイペが消えた…。
マジか…。
すち子のトップスの最終進化に、それが30も必要だった。
容易に入手可能な素材の扱いだが、実際のところ、マルチ任務を10回やって1つドロップするかどうかだった。
ああ、しんどかった…。
ワンフェスが開催されていたようだが、目的地は東京を通り過ぎたもっと北だった。
学生時代は何度も訪れた町だったが、一度も見たことのなかった「餃子の像」を拝んだ。この町の餃子は大好きだったが、行きつけだった店は名前も場所も思い出せなかった。
目的地はJR駅からさらに遠い場所だった。行きはタクシーを使ったのだが、用を終えた夕暮れ、捕まえるタクシーも見えたらず、しばらく来た道を歩くことにした。
どこまで歩くのか…。あたりは暗くなり、そろそろ焦り始めたころ、黄色く光る店の看板が見えた。
「正嗣」
そうだ、「正嗣」だった。
そこへ流しのタクシーが通りかかった。だが、優先順位が上回った。タクシーを見送り、その行きつけだった餃子店に入った。
えっと、なんだっけ。…そうだ。
「焼き1、水1」。
その瞬間、あの頃へタイムスリップした。
我に返って店を出ると、丁度、駅行きのバスが来た。
まず、インフルにやられた。家の中は滅茶苦茶だし、ただでさえ過密なスケジュールを後送りせざるをえず、さらに過密化。それに関連し、職員感染についての整備不足を議題とすべき会議にコロナウイルスが割って入り複雑化。その上に、地域の名士からのありがたいが受け入れられないラブコールを穏便に断る役が降臨。
この3週間ほど、ちょっとした鬱状態になっていたようだ。引き受ける私も悪いのだが、臨床家に政治をやらせようとするんじゃない…。
2月2日から始まった女児向けアニメは、どうやら同業者がモチーフらしい。規範になるような良い仕事をせねばと思った。すると、ようやく、気持ちが前向きになった。
おや、ヒーリングされたのは、こちらであったか。
怒涛の1週間が終わった。
連休があると、その間の仕事は無いのではなくてたまっているだけだから、再開した後がしばらく地獄になる。
仕事柄、人の死に多く接する。
当たり前だが、死は万人に等しく訪れる。偉大な社長さんだろうが誰かもわからない行き倒れの人だろうが変わらない。それまでの人生で何を積み上げていようがいまいが、死の訪れと共に等しく無に還る。(来世などないものとすれば。)
それでは、人は何のために生きるのだろうか?
「何のために生まれて、何をして生きるのか、答えられないなんて、そんなのはいやだ!」と言うアニメ主題歌があるが、それには違和感を抱いていた。だって、生まれつき障害を持ち会話も出来ない方々だっている。彼らの人生はどうだというのだ。彼らのいつも笑っている様子を見れば、むしろ、様々な悩みを抱えた社会人よりも幸せそうだ。
所謂ソシャゲはいくらプレイしてレベルアップしようが、何万円課金しようが、サービスが終了すればゼロだ。何も残らない。このため、SNSでは、プレイ自体に疑問を呈し、無駄な時間と金だどする意見が見られる。それに対しては、プレイしている間が幸せなら無駄ではないといった反論がなされるのが常だ。
これは人生にもほぼ当てはまるように思えた。人は何かを成し遂げるためや他人の役に立つために生きるわけではない。ただ、幸せになるために生きるのだ。
幸せの定義は人それぞれあろう。何かを成し遂げることや他人に貢献し人類へ遺産を残すことが幸せな人は、それを目指すと良い。三度のメシが幸せな人は、それは結構なことで人生は素敵に違いない。
逆を言えば、人は決して不幸になるために生きてはいない。妬み嫉み、手の届かないものへの嘆き、そんなもので自ら不幸に押し潰されるのは、大変に残念なことだ。
アリスギアの除夜の鐘を聞きながら、そんなことを悟った。