ほぼ、ただの色違い。
これらのキットが別商品として展開されている価値は、ただ、その形成色の違いのみだ。塗ってしまえば、別キットである意味はなくなってしまう。だから、だからこその素組みなのだ。
ただし、「目」だけは塗った。
みつけた、2つとも…。
達成感と同時に、一つの目標を失った喪失感。
血眼になったこの1ヵ月とちょっとは、思い出に残りそうだ。
今回のFAGは素組み。
他のFAもそうだが、比較的新しいキットは形成色の色分けが高度な上に継ぎ目や切り痕も目立たなくなっている。この技術レベルもキットの値打ちの一つと考えると、これらを見えなくしてしまう塗装や加工は、むしろもったいない行為のような気がしてきたのだ。
関節の出来も高度で、実に自由なポージングができるのだが、これも塗装してしまうと塗膜のはげを恐れておいそれと動かせなくなり、陳列品となってしまう。
いいじゃないか?素組み。
簡単な上に、これで十分、かっこ可愛い。
・スティレット制空部隊仕様
・バーゼラルド砲撃戦仕様
この2つが、ない。どうしてもない。
つい最近までアマゾンなどで見かけていたのだが、フレームアームズを主幹コンテンツに据えると覚悟を決める前だったので、購入を見送っていたのが悔やまれる。コトブキヤショップの店頭にはもちろんなかったし、秋葉原の街で中古模型店を探し歩いたけれど、見つけることはできなかった。
後者は一度再版されているので、二度目も期待するが、前者はわからないし、後者にしろその保証はない。切歯扼腕とはこのことだ。だから!欲しいものは見たときに買えと、先人たちがあれほど!!
この2つを捜索しつつ、「フレームアームズの世界」の製作を続けている。
ふと、「Zタイプザク」を探し歩いていた少年時代を思い出す。かわらないな、私も。僕も…。
以前は嫌っていた「パチ組み」を、今は主な趣味として進めている。
フレームアームズは、その価値があるシリーズと思ったからだし、何より、「原作」がないプラモなので、組まないと形になって現れてこないのだ。
しかし、ごーらいとすていれっとは、すぐに届くのかと思ったら、予約…。コトブキヤオンラインショップ、表示がわかりづらい。届くのを気長に待つことにする。
実際、フレームアームズは、今のライフスタイルにマッチしている。
①自分の都合でいつでも手を止めることができる。ゲームなら止めたい思った後にセーブする時間が必要だが、それすら不要。
②プラモの本体と若干の道具があれば、時間と場所を選ばない。塗装するとなればやや難しくなるが、筆塗りならできないことはない。
③貴重な時間を使った結果が、必ず成果として残る。時間を無駄にしたと感じることがない。
④外出できなくても、コトブキヤのオンラインショップで容易に購入できる。
⑤リアルの仕事のトレーニングに良いというデータが示されている。
まだ先のあるコンテンツと思えるし、少なくともこの先数年は、これで生きていける気がする。
FAコンテンツを本気で始めることにした。
レヴァナント・アイ以外のキットを買い集め始めた時点で、もう足が抜けない気がしたから。
秋葉のイエローサブマリンに行くと、MSGシリーズが非常に充実しているのでいくつか買い込む。そしてエスカレーターの近くにいくと、とても懐かしいものが自販されていた。
カードダス。正確には、それを模したオンラインゲーム用のカードだ。
少年時代に、カードダスには非常に没頭した。20円を入れて販売機のハンドルを回すと、ガリガリと音を立てて、裏返しの状態で1枚出てくる。綺麗なプリズムカードは裏返しでも光沢が違うから、胸がときめいた。こづかいのほとんどをそれに費やしていたから、親に心配をかけたものだ。
少年時代の記憶から切っても切れないアイテムだったから、もし再版されたらきっと買いたいと思っていた。感激して、12枚を買った。しかし、なんだろう。あのときの輝き、ときめきは微塵も感じられない。こんなカードが、一枚20円もしていたのか?とすら思えてしまう。そして、気がつく。あの時の自分は、もういないのだ、と。あの時の自分は、昔にいた別の男の子なのか、と。すると途端に、親に心配をかけたりしたほろ苦い思い出も一緒に、微笑ましい少年の思い出に変わった。
あと何十年かしたら、ACもFAも、何であんなことにはまっていたのだろうか?と思うようになるのだろうか。
宴会で、周りの男女は猥談に花を咲かせている。取り残されるのは嫌だが、話に加わるのはもっと嫌で、壁にもたれて独りウーロン茶を飲む。エッチなアニメ風のイラストとかのほうが、まだ清潔な気がしてしまう。
同じく話題に入れない様子の女の子がチラとこちらを見たから、肩をすくめてみせる。
大まかに言って、平和だ。
もう、いい加減、試験勉強はしなくていいだろうと思っていたのだが…。
もう2か月切った。
今日の天気予報は曇りだったはずだが、通勤中に急に雨脚が強くなった。100m先のコンビニまでもたどり着けず、開店前の店舗軒下で雨宿りする。
風上の西の空は明るい。
雨の音が聞こえる 雨が降っていたのだ
あの音のようにそっと 世のために働いていよう
雨がやむように静かに 死んでゆこう
いつも早めに出ていたおかげで、
雨がやんで晴れ間が出た後に自転車を動かしても、遅刻することはなかった。
投稿後1週間は、そのタイミングで投稿されたフリーゲームの1つや2つは、日毎DL数のトップ10に入ってくる。でも、1週間を過ぎて「New」の札が外れると途端にDLは減りはじめ、ランキングから消える。「New」が外れてもなおトップ10にランキングされているのは、その後もずっとDLされつづける「殿堂入り」ばかりだ。「阿弥陀・御机下」も「人形」も、そうしてランキングから消えて、二度と浮かび上がることはなかった。
「来たる」を投稿して、1か月がたった。一時、日毎DLはゼロまで落ち込んで、前作と同じく消えるものと思っていた。だが、ここ数日、謎の上昇を見せていて、それがまだ続いている。今日は遂にトップ5に食い込んだ。固唾をのんで見守る。
艦これを始めるきっかけになった、「コンビニに置いてあるフチ子さん」。始めた直後に店頭から消えたのだが、また置いてあったので買ってきた。飛行甲板とか、えらく造形が細かい。
しかし、「来たる」DLは、これは一体、何があったし…。
最初は、フレーム・アームズの魅力はわからなかった。自分の好きなようにメカを作っても、それは完全な自己満足で、他人の共感は得られないと思ったからだ。
だが、他人の共感を得ることは、果たして自己満足よりも優先されるべきことなのか?もちろん、他人との連携が欠かせない社会生活においてはそうだろう。しかし、趣味の世界にそれは当てはまらないのではなかろうか。他人に迷惑をかけない範囲に限って、他人の目を気にしない自己満足は許されるのではないだろうか。
そう吹っ切れたとき、フレーム・アームズは楽しくなった。
7年間の生活を共にした金魚が、死んだ。
最後の2か月は横たわって食事もとれず、うろこは剥がれ綺麗だった尾びれはボロボロになり、哀れな様子だった。それでも、近くに行くと体を振って応えていた。今朝、見に行くと水底で動かなくなっていた。あまり写真は撮らなかったから、このページの右上の写真が遺影になってしまった。
さようなら…。