気がつけば、イブだった。
今年の時間無しぶりは例年以上だったらしい。
毎年、何らかのクリスマス絵を描いてきたが、今年はダメか…、と思ったが、描いた。
画質も何も大安売りだが、限られた時間の中ではベストを尽くしたので後悔はない。
大成功、1年前から暖めていたものが遂に結実した。
朝9時から夜9時までか…。久々に大物だった。
遠方派遣から帰ったら、休日緊急(元々休日なんかないが…)、忘年会、研究発表準備と、目がまわるようだった。
ようやく日常が戻った気がする。
「ご出身はどこですか」
「熊本です」
「寒いのは苦手ですか」
「…はい」
窓の外を見る。
施設の目の前の地区は、一見ただの更地に見えるが、注意してみると横倒しになったビルや垣根、住宅の基礎部分が残っていて、かつてここが栄えた町だったことがうかがえる。この地区はこれから5mかさ上げに埋め立てて、商業地帯にするのだという。今、施設裏手の高台に住宅地を作っているところで、そこで出た土を使う予定ということだが、まだ先が見えない。建築学者は倒れたビルを学術的に残したいといっているが、復興を早めたい住民にとっては困った話だという。これらのビルを残したまま埋立地を作ることは難しいのではないだろうか。
「おだづなよ、津波」は「ふざけるなよ」といった意味らしい。
話してくれた事務さんは、当時、施設の2階で働いていた。あの時、水は「塊のようになって」町へ流れ込み、目の前で家々が木の葉のように押し流されていった。ほかの職員には岸に近い位置に家のある者もあり「ああ、私の家はだめだ」とつぶやいたのを聞いたという。波は町の奥にあったJR駅まで達し電車も押し流された。今、駅舎があったというところを見ても、その痕跡すらわからない。目の前で起こっていることが現実のものとは思えず茫然としたのも束の間で、すぐに施設へは被災者たちが来たためその対応で我にかえったそうだ。その時に職場にいなかったら、正気を保てていたかわからないという。
先週金曜日に地震がありNHKが「3.11を思い出してください」といったアナウンスしていたが、それを聞いて「なにがなんだかわからなくなり」、しばらく動けなくなったという。緊張感をあおる目的だったと考えられるが、被災者にとってはありがたくないアナウンスだったそうだ。
事務さんの話は原発に及んだ。選挙で原発ゼロを叫ぶ政党は多いが、原発で雇用を得ている地域にとっては、「原発はなくなってもいいけれど、その後の雇用はどうしてくれるんだ」という思いだそうだ。確かにそこを具体的に述べている政党は見当たらない。今度の選挙の結果、「いったいどうなるんだろう」と不安に感じているそうだ。
煎れてくれたコーヒーを片手に、また窓の外を見る。
2011年3月11日は、今だ、現在進行形でそこにあった。
今作は実写なしで。
出かけて撮影ポイントを探す手間をかけても、思い描くシーンに巡り合えることが少ない。それなら、多少苦手でも自分で描いた方がいい。
3月までには一定の地点まで到達したいが…。
震度4だそうだ。体感的には3.11に近く、恐怖するに十分だった。
大繁盛と言えば聞こえは良いが、これは誰も幸せにならない。
嘔吐下痢症にやられた。
内科医の診断の結果、症状が治るまで出勤停止である。我ながらつくづく弱い。
この時間を使って、小説板の掃除と工房全体のバックアップ作業をした。
PS3をWebに繋げないのでACVプレイヤーとしては既に死んでいるが、ACファンサイトをやめるつもりはない。